アート・センター アート・アーカイヴ資料展 XX:影どもの住む部屋II―瀧口修造の〈本〉―「秘メラレタ音ノアル」ひとつのオブジェ

これは「書斎」というべきものか。それこそ「影どもの住む部屋」というべきか。[…]紙にひだをつける、ただそれだけの行為。それは交信紙と名づけられるはずの用箋にすぎない。[…]それらはオブジェであり、言葉でもある。永遠に綴じられず、丁づけされない本。 ―瀧口修造「白紙の周辺」

 

 「秘メラレタ音ノアル」ひとつのオブジェ。それはひとつの行為を内蔵してしまったもの。 ―瀧口修造「アララットの船あるいは空の蜜へ小さな透視の日々」

 

 

瀧口修造(1903-1979)の書斎は、制作を行う場所であり、制作プロセスの中で様々な思考や記憶が縦横無尽に飛び交う場所すなわち「影どもの住む部屋」であった。*1  死後、そこには「時間と埃りをも含めて。石ころとサージンの空鑵[…]朽ちた葉」 等が膨大に残されていた。それらはある人々にとってはゴミとして捨てられてしまい、また別のある人々にとってはフェティッシュとして退けられるような物品の山である。しかし瀧口は、これらを素材に、通称「手づくり本(handmade brochure)」と呼ばれる不可思議な本を制作していた。それらは出版社や印刷所のプロセスを経ていない、瀧口自身の手仕事による本であり、雑誌の切り抜き、銀紙、ラベル・シール、手書きのメモ等、いわゆる断片の寄せ集めによって構成され、完成されているようにも、未完成であるようにも見える本である。瀧口にとって書斎が「影どもの住む部屋」であるのならば、そこで制作されていた「手づくり本」にも「影ども」が巣くっているはずだ。

 

脆弱に綴じられ、時にはそれすら放棄された本と呼ぶには余りにもはかない「手づくり本」を通して、瀧口は何を行おうとしていたのか。本展では、「永遠運動の発明」(「仮説の運動」)へと向けられた行為の連続としての詩を求めた瀧口の制作における思考を、「行為を内蔵してしまったもの」(「アララットの船あるいは空の蜜へ小さな透視の日々」)としての〈本〉を通じて見出すとともに、アーカイヴにとって資料とは何かについて考える。

*1. 「アート・アーカイヴ資料展XVI:影どもの住む部屋――瀧口修造の書斎」(2018)では瀧口の活動を、彼の制作・編集・研究の場である書斎へと赴くことによって考えようと試みた。具体的には、瀧口が書斎で試みていた様々な資料群の布置の改変を写真を通じて見出すとともに、『余白に書く』という書物に着目し、その初出印刷物の展示において、書物へと結晶化する事前と事後の状態の比較を行った。本展はこの企画の続編である。

 

主催

慶應義塾大学アート・センター